同性パートナー犯罪被害者遺族給付金訴訟第一審判決についての若干の考察

同性パートナーを殺害される犯罪被害に遭い、遺族給付金の支給を受けようとしたものの不支給とされたことから、その裁定の取消を求めて提起された行政事件訴訟について、2020年06月04日、名古屋地裁は請求棄却の判決を言い渡した[1]。先日弁護団により判決文が公開されたので、若干の考察を掲載しておく。

本判決は、「同性の犯罪被害者と共同生活関係にあった者が犯給法〔以下、本法という〕5条1項1号の「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にあつた者」〔以下、準婚配偶者という〕に該当するためには、同性間の共同生活関係が婚姻関係と同視し得るものであるとの社会通念が形成されていることを要する」(亀甲括弧内は筆者。以下判決引用中において同じ)とする。しかしながら、このような、「婚姻関係と同視し得るものであるとの社会通念が形成されていること」という判断基準は不当であると考える。

まず、本法5条1項1号の趣旨からすると、本件のように犯罪被害者と婚姻類似の関係にあった者が準婚配偶者に該当するか否かを判断するに当たっては、如何なる場合に「事実上婚姻関係と同様の事情にあつた」と評価しうるかについて、⑴民法の諸規定などに鑑みながら「婚姻関係」の核心的な要素を明らかにした上で、本法の目的などにも鑑みながら、斯かる「婚姻関係」の核心的な要素に照らして当該婚姻類似関係が⑵一般的に言って事実上同様の事情にあるといえるか、更に⑶個別的に見て事実上同様の事情にあるといえるかという点から検討すべきである。⑴〜⑶のそれぞれを検討するに当たり社会通念を斟酌することはありうるとしても、それはあくまで一考慮要素に過ぎない。

これに対し、本判決のように、社会通念を殊更重んじ、これのみを判断基準として結論を下すならば、社会通念というものの曖昧さからして、畢竟裁判官の専断であるとの誹りを免れない。ましてや、その結果として社会的少数者が排除されることとなるならば、法の番人として積極的に人権を擁護すべき裁判所が、あろうことか社会通念の名の下に社会的少数者に対する差別・個人として尊重される権利の侵害を追認し加担するということに外ならない。

この点、本判決は本判断基準を導く論拠として、①「〔本〕法の目的が〔Ⓐ〕社会連帯共助の精神に基づいて、〔Ⓑ〕租税を財源として遺族等に一定の給付金を支給し、〔Ⓒ〕国の法制度全般に対する国民の信頼を確保することにあることに鑑みると、犯給法による保護の範囲は社会通念により決するのが合理的である」こと、②支給対象となりうる遺族として配偶者(準婚配偶者含む)と並んで列挙されている「親子、祖父母、孫や兄弟姉妹といった親族は、社会通念上、犯罪被害者と親密なつながりを有するものとして犯罪被害者の死亡によって重大な経済的又は精神的な被害を受けることが想定される者であり」、準婚配偶者「に該当する者も同様の者が想定されていると考えられる」ことを挙げる。

この内、第一に、①Ⓐについては、「社会連帯共助の精神」の意味するところが必ずしも明らかでないが、本判決が「重大な経済的又は精神的な被害を受けた遺族等が発生した場合には当該遺族等を救済すべきとする社会一般の意識が生ずる」ことを本法の目的の背後に捉えていることをも踏まえると、本法は国民相互がその意識の醸出に因り主体的に助け合う精神に基づくものであるいったような趣旨と解される。しかしながら、本法の定める犯罪被害者等給付金制度は国が法律に基づき実施する「公助」なのであるから、このような法の内容にもかかわらず、処分の適法性を判断するに当たっての法制度的な理解として前述の如く解することは、論理不整合である。また、本法の立法過程について、仮に、「当該遺族等を救済すべきとする社会一般の意識」に端を発したものであり、「社会連帯共助の精神に基づ〔く〕」と評価しうるとしても、それはあくまで立法以前の段階においてのものである。そして、結局斯かる意識に基づいて定められた本法の内容が「公助」に外ならないことは既述の通りであるから、立法以前の段階における「社会一般の意識」やそれに対する評価を、立法内容との関係性等を考慮せず、そのまま法の趣旨と位置付けて前述の如く解するならば、当を得ない。

第二に、①Ⓑについては、「租税を財源と〔する〕」ことからなぜ「〔本〕法による保護の範囲は社会通念により決するのが合理的である」という帰結が導かれるのか何ら明らかでない。「租税を財源と〔する〕」支出は納税者の意思の如きを尊重するべきであるといったような発想があるのかもしれないが、仮にそのような論理を取りうるとしても、せいぜい財政は国会の議決に基づき適正に処理すべきであるということが理論的に論拠付けられるに留まり、「租税を財源と〔する〕」支出についての規定の法解釈において社会通念を殊更重んじるべきであるというような帰結には至りえない。裁判官が社会通念を重んじたところでそれがまことに納税者の意思の如きに合致している保証はないし、社会通念を重んじた法解釈に因って法的安定性が損なわれる弊害の方が遥かに大きいからである。もっとも、このように考えるとあまりに論拠として薄弱であるので、①Ⓑは或いは租税を財源としない社会保険のような場合は異なりうることを示唆するに留まるのかもしれないと思いたいところである。

第三に、①Ⓒについては、「国の法制度全般に対する国民の信頼を確保する」という「〔本〕法の目的」からなぜ「〔本〕法による保護の範囲は社会通念により決するのが合理的である」という帰結が導かれるのか必ずしも明らかでないが、国民が国の法制度全般を信頼するか否かというのも一つの社会通念であるので、そのようなものを確保することが「〔本〕法の目的」であるからには、本法の適用範囲も社会通念により判断するのが合理的であるといったような趣旨であろうと解される。しかしながら、国民の法制度全般に対する信頼の如何が一つの社会通念であるといえるとしても、それは正に一つの社会通念に過ぎず、本法の目的が社会通念一般を保護等することにあるとは到底いえないのであるから、本法の適用範囲を社会通念一般により判断すべきともいえないのであり、これらの点を無視した論理展開はあまりに粗雑である。

第四に、①においては、以上に見てきた通り「社会連帯共助の精神に基づいて、租税を財源として遺族等に一定の給付金を支給し、国の法制度全般に対する国民の信頼を確保すること」が「〔本〕法の目的」であるとされ、そこから「〔本〕法による保護の範囲は社会通念により決するのが合理的である」という帰結が導かれている。しかし、「国の法制度全般〔あるいは法秩序〕に対する国民の信頼を確保すること」が本法の目的の一つでありうるとしても、それが究極的かつ唯一のものというわけではなく、「遺族等の経済的又は精神的な被害を緩和する」ことも本法の目的の一つであるというべきであり、これは本判決も判示するところである。ところが、この目的は、犯罪被害者等給付金の支給対象の範囲が問題となる本件におきこれを如何に画するか解釈するに当たって指針となるものであるにもかかわらず、①の帰結および本判断基準の論拠を示す中では考慮されておらず、その理由も述べられていない。①の帰結および本判断基準は本法の目的を論拠としているにもかかわらず、その内の一つが指針となるものでありながら考慮から除かれているということからすると、考慮されるべき事項が考慮されていない以上①の帰結および本判断基準の妥当性は疑わしいし、結論ありきで結論に有利な目的のみを考慮に容れたのではないかとの疑念を拭いえない。

第五に、②については、①において「〔本〕法による保護の範囲は社会通念により決するのが合理的である」ことが既に導出されているところ、これを補強する趣旨であるのか、本判断基準に①とは別個の論拠を与える趣旨であるのか、あるいはその両方であるのか、定かでない。

前者の場合、①において「社会通念により決するのが合理的である」とした「〔本〕法による保護の範囲」を実際に「社会通念により決」して見せ、以て「〔本〕法による保護の範囲」を「社会通念により決する」ことができることを示すことで①を補強するものと一応解しうるが、そうすると結局本判断基準を支える主たる論拠は①のみであるということになろう。

書きぶりからすると後者のように見受けられるが、この場合、「社会通念上、犯罪被害者と親密なつながりを有するものとして犯罪被害者の死亡によって重大な経済的又は精神的な被害を受けることが想定される者」が「社会通念により決」された「〔本〕法による保護の範囲」であり、準婚配偶者についても同様の範囲内で該当するかのように述べながら、なぜ「婚姻関係と同視し得るものであるとの社会通念が形成されていること」という本判断基準が導かれるのか不明であり、論理に大きな飛躍がある[2]。「親子、祖父母、孫や兄弟姉妹といった親族は」と始まって、「社会通念上、犯罪被害者と親密なつながりを有するものとして犯罪被害者の死亡によって重大な経済的又は精神的な被害を受けることが想定される者であ〔る〕」と述べられていることからすると、「前者即ち親族に当たる者こそ後者に示した「〔本〕法による保護の範囲」に該当する者なのであり、言い換えれば「〔本〕法による保護の範囲」は即ち親族に当たるような者のことなのであって、それ故、斯かる範囲に準婚配偶者が該当するためには、その準婚関係について、斯かる範囲への該当性の程度が、親族関係の一つである「婚姻関係と同視し得るものであるといえることを要する」」というようなことを謂わんとしたのかもしれないが、斯様に無理矢理行間を読んでみても猶判然としない。

いずれにしても、本判決が社会通念を殊更重んじこれのみを判断基準とした論拠は①に集約され、この点で②は然したる意味を持たないと解される。寧ろ、②の内容は、本判断基準とその論拠の非論理性を顕にする役目のみを果たしているようにすら思われる。

以上の通り、本判決が示した本判断基準の論拠はいずれも不十分であり、冒頭に述べた通り本判断基準は不当である。

何人も等しく個人として尊重される社会を請い願う。